1.設立年月日
2.設立主旨 財団法人理化学研究所が国の与望をになって創立されたのは第一次世界大戦勃発後間もない大正6年であり、同10年同研究所の第三代所長に選ばれて就任した東京帝国大学教授・工学博士・子爵大河内正敏氏は、やがて一切の他の公職を辞し全力をあげて研究所の経営に没頭、昭和21年所長を退任するまでの在位25年間とその前後、殆ど後半生の一切をこれに捧げられたのであります。 大胆な人事、卓抜な研究推進行政により日本科学界の人材悉く同研究所に集まり、少壮有為の科学者が次々に数多く育成され、世界の水準を抜く優れた研究業績も続々と上がり、昭和19年には所員2千人を擁する一大研究所となりました。 当時として驚くべきこの現象の反面には博士の非凡な才能と実行力と努力とによる「同研究所生れの発明の工業化」活動があり、その成果として産業界にいわゆる理研産業団と呼ばれた60余会社(ビタミン、ピストンリング、計器、感光紙、マグネシウム、アルマイト等多部門にわたる)が設立され、非常時に至る困難な時代に博士自らのユニークな新しい経営リードで独特の飛躍を示し、そこに生れる特許許諾料、実施報酬その他が厖大な研究所経費を賄う財源となったのであります。 博士は早くから、日本の工業の発展に最も重要なものは生産工学であるとの見解からその指導に乗り出されましたが、たまたま戦乱、敗戦と続き、この卓見は十分に世論となるに至りませんでした。昭和27年8月29日、博士が卒然として逝去されるや博士を敬慕する有志相諮り、遺志となった「生産工学の振興」に寄与することによって、日本の産業と科学技術の発展に貢献することを目的として当会を設立したのであります。
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3.事業概要
4.所管官庁 内閣府 5.事業計画及び収支予算
<評議員>
<相談役>
<顧 問>
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